森鴎外『舞姫』:功名心と愛の間に立つ男の悲劇

森鴎外『舞姫』 異国での恋と自己欺瞞

「石炭をばはや積み果てつ。」という印象的な一文で始まる本作は、森鴎外の留学経験を背景に書かれた日本近代文学の金字塔です。主人公、太田豊太郎の回想形式で、ベルリンを舞台に立身出世の道と、可憐な舞姫エリスとの愛との間で揺れ動く男のエゴイズムと悲劇を描き出しています。

理想と現実、そして挫折

官費留学生として高い理想を胸に渡欧した豊太郎は、当初は機械的に勉学に励みますが、やがて法学の形式的な研究に飽き足らなくなり、文学や歴史へと関心を移します。この独立した思想が、同郷の留学生たちの嫉妬や讒言を招き、彼は官職を解かれてしまいます。これにより、彼は社会的な地位と名誉を失い、ドイツの地で孤立を深めることになります。

エリスの純粋と豊太郎の「功名心」

失意の底にあった豊太郎が出会ったのが、可憐な舞姫エリスです。彼女の純粋な愛と献身は、豊太郎にとって唯一の救いとなりますが、日本からの友人・相沢謙吉が現れ、復職の機会をもたらしたことで状況は一変します。豊太郎はエリスとの愛と、再び名誉ある地位を得るという功名心との間で激しく葛藤します。最終的に、彼はエリスを裏切る形で立身の道を選び、そのショックでエリスは精神に異常をきたしてしまいます。

本作は、豊太郎が自己の弱さとエゴイズムを正当化しようと努めながら、結局は愛する者を不幸に陥れたという「悔恨の情」を抱えたまま、帰国する結末を迎えます。個人の感情や愛を、社会的な成功や名誉のために犠牲にする近代日本の知識人の姿を深く描き出し、自己保身という人間の普遍的な主題を問いかける、今なお読み応えのある作品です。