太宰治『富嶽百景』:自己を見つめ「俗」を受け入れる旅

太宰治『富嶽百景』 孤独と不安からの脱却

「富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によって東西及南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。」で始まる本作は、太宰治御坂峠の天下茶屋に滞在した経験を元に書かれた私小説です。自己の不安富士の雄大さを対比させながら、孤独と向き合い、俗世の生を受け入れる過程が描かれています。

理想の富士と現実の自己

太宰は、芸術家たちが描く鋭角で理想化された富士を否定し、実際の鈍角で広々とした現実の富士に直面します。この富士は、作者が直視することを避けてきた自己の「俗」な部分の象徴です。御坂峠から見る「おあつらえむき」の景観を「風呂屋のペンキ画だ」と軽蔑する態度は、俗世から距離を置こうとする作者の屈折した自意識を示しています。

「俗」の肯定と生の決意

井伏鱒二との交流や、犬に吠えられて無様に逃げ出す「富士見西行」(乞食)の姿、そして友人から「性格破産者」と呼ばれるエピソードは、作者自身の情けなさ人間的な弱さを浮き彫りにします。しかし、甲府での見合いの際、噴火口の写真を見て「きめた」と結婚を決意する場面は、俗な生、不安な自己をそのまま受け入れ、人生を再出発する決意として読めます。

富士百景とは、百通りの自分自身の心の在り方を映し出した鏡です。太宰は、富士を通して自己の醜さと愛おしさの両方を描き出し、厭世観を乗り越えようと試みました。本作は、人間としての弱さを抱えながらも生きていくという、太宰文学の重要な転換点を示す、文学史上価値の高い作品です。