芥川龍之介『羅生門』:極限で試される「善悪」の境界線
芥川龍之介『羅生門』 生存と道徳の皮肉
「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」で始まる本作は、芥川龍之介の初期の傑作です。平安京の衰退期を舞台に、生きていくための手段を選ぶ勇気を持てずにいた下人の心理を通して、人間のエゴイズムの本質が鋭く問われます。
荒廃と「生きるため」の選択
舞台となる羅生門の荒廃した情景は、時代の衰退と道徳の崩壊を象徴しています。下人は「飢え死にするか、盗人になるか」という極限の選択肢に直面し、生存本能とわずかに残る道徳心の間で激しく葛藤します。門の楼上での老婆との出会いは、下人にとってこの葛藤を解決する決定的な転機となります。
善悪の相対性とエゴイズム
老婆が死人の髪を抜くという行為に対し、下人は一時的に強い「悪の憎悪」を抱き、自らの道徳的優位を確立します。しかし、老婆が「生きるためには仕方がなかった」と、死者の過去の悪事を持ち出しつつ自己の行為を合理化する論理を聞いた瞬間、下人の心は一変します。老婆の論理は、善悪の基準が生存というエゴイズムの前ではいかに脆いかを示し、下人はこの「勇気」を得て、老婆の着物を剥ぎ取り闇へと消えます。
下人が老婆の論理をそのまま利用して引剥ぎを働くという皮肉な結末は、人間の動機や道徳が、自己の生存という本能的な欲求の前でいかに簡単に反転するかを示唆しています。本作は、人間の尊厳の崩壊を描きながらも、その奥底にある普遍的なエゴイズムを追求した、永遠の傑作と言えるでしょう。