芥川龍之介『杜子春』:富の虚飾と人間の真の価値
芥川龍之介『杜子春』 富と愛、仙人になれなかった男
「或(ある)春の日暮です。唐(とう)の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。」で始まる本作は、芥川龍之介の中国古典に材を取った代表作の一つです。大金持ちと貧乏を繰り返す杜子春の生涯を通して、富や名声の空しさが問われます。
三度の富と人間の薄情
仙人鉄冠子から三度も莫大な富を与えられた杜子春ですが、その都度贅沢の限りを尽くし、三年で財産を失います。金がある時は群がる友人たちが、無くなれば去っていく。この人間の薄情さに絶望した杜子春は、三度目には富を拒絶し、仙人になる道を選びます。
最後の試練と親子の情愛
鉄冠子との仙術の修行は、杜子春にとって無言を貫くという過酷な試練でした。地獄の責め苦や、世界の崩壊を耐え抜いた彼ですが、試練の最後に、鬼に拷問される両親の姿を見て、ついに「お母さん」と叫んでしまいます。この一言は、仙人になるための一切の執着を捨てるという誓いを破るものです。
仙人への道を断たれた杜子春ですが、彼の「人間らしい心」は救われます。この物語は、富や超自然的な力よりも、親子の愛という最も根源的で普遍的な感情こそが、人間にとって真の価値を持つことを静かに示唆しています。人間の愛の温かさを再認識させる、永遠の教訓とも言える傑作です。